瀬戸焼について | 陶器の瀬戸焼と名古屋市

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瀬戸焼について

陶磁器のことを「せともの」や「からつもの」と表現されることが多いです。近畿以東を中心にして日本の70%の地域で「せともの」と呼ばれているのだそうです。
言うなれば、日本の陶磁器の代名詞として「せともの」が使われるくらい瀬戸焼は全国に広がっているということなんですね。
昔から、瀬戸市一帯は窯業が盛んな地域であったようで、瀬戸という地名も「陶都(すえと)」から転じて「せと」になったともいわれています。
そして現在でも、この辺りは日本の陶器を代表する一大窯業地帯となっています。

瀬戸焼には2つの顔があります。13世紀から16世紀頃までに生産された「古瀬戸」と、縁日や祭りの露天でたたき売られる「せともの」の2つです。この2つの顔が瀬戸の千年の歴史を語っているのです。
瀬戸焼の代表である磁器は、19世紀の初め頃、磁祖と呼ばれる加藤民吉(かとうたみきち)によって創始されたものです。
有田焼とはまた違った独特のぬくもりを備えており、やがて絵付けの技術も発達してさまざまに展開し、日本のやきもの界で一世を風靡しました。
落ち着きのある白磁や気品に満ちた染付けや上絵は大変魅力的なものなのですが、瀬戸焼の人気が高まったことで大量生産の道を歩むこととなり、作品としての特徴をやや失ってしまった、といった感じがあるのも否めませんね。
陶磁器のメッカとして千年の歴史を刻むことができた理由は3つ。
それは、「世界一上質のきめ細かい木節粘土」「昔の燃料としての丘陵の樹木」「創造・研究に熱心な陶工」でしょう。
また瀬戸には2つの例祭があります。春は陶彦神社の陶祖祭で、中国の宋で製陶法を学んで帰国した瀬戸焼きの陶祖・加藤四郎左右衛門景正のお祭りです。
そして秋には窯神神社のせともの祭りで、九州有田で磁器製法を学び持ち帰り、瀬戸焼きを再興した磁祖・加藤民吉のお祭りがあります。
従って瀬戸焼は陶器と磁器の2つがあるのです。

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